徒然草 2000.03.
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デジカメ買いました(27日)−−−−−−−−−−


沖縄コミケ(23日、24日追加修正)−−−−−−−−−−
最新の追加文は赤色で記載しています。

    2000年03月19日に沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開催された、コミケットスペシャル3 リゾコミin沖縄に参加して来ました。その際のレポートです。


    いい日旅立ち

    2000.03.16
       この日の午後から大雪。この冬初めて大雪警報発令。交通は麻痺。高速は郡山から鹿角まで閉鎖、花巻空港は午後から欠航、新幹線は遅れる。
       この調子だと、仙台空港からの沖縄直行便の利用は危うかったかも。

    2000.03.17
       雪は降り止む。積雪は20〜30cmくらい。交通はほぼ通常に回復する。
       この日はもちろん平日。普通に勤務して、午後5時半ころ放課。前日の内に準備していた荷物を整理し直す。今回はパソコンと一眼レフカメラを同行させるため、非常に重い。かさばるので、カメラはレンズを分離して無理矢理パソコンバックに収納する。
       そうやってむりして持っていった一眼レフだったが、結局ほとんど撮影せず。やっぱりストロボ内蔵で軽い一眼レフが欲しいわ。ちなみに今回の写真担当はMINEさん。後で見せてください。

       JR新花巻駅19:04発のMaxやまびこ54号で上京。盛岡から乗ってきた地雷屋のMINEさんと合流する。車内はそこそこ空いていて、1両目1階は2〜3人席あたり1人くらい。途中、MINEさんの購入したノートパソコンをいじりながら行く。こういうイベントの時にしか契約しないH"端末に通信ケーブルを装備してモバイラーしている。が、結局あれもこれもやりたくなって、中途半端な本体を買ってしまった、とは本人の弁。一緒に買ったアルミバックは、肩掛けベルトがある方をわざわざ買ったのに、1度も使用しない内にベルトの留め金が壊れたそうだ。ちなみに今回の旅で私のバックも同じところが壊れた。何故?

       JR仙台駅20:14分到着。今までの空き具合が嘘のように人が乗り込んで、あっという間にほぼ満席になる。ここで合流予定の北謳寮通信社の武振知彦さんは私たちを見つけられず後方車両へ。仕方がないので迎えに行く。相変わらず大荷物だ。
       東京へは22:28到着。明日の早朝までどこで過ごすか検討。池袋の喫茶店と(蔵王)いう案もあったのだが、飲み屋→カラオケとする。京急を使うと羽田まで近く、私が多少詳しいということもあって、東京発22:53東海道線で川崎23:11着。街へ繰り出す。
       魚民の営業時間は午前5時まで。だらだらと飲みながら、だらだらと寝る。結局4時半ころまで居座る。3人で5,922円ナリ。

    2000.03.18
       魚民から出てコンビニに立ち寄り、買い物。MINEさんは原稿を送る。

       そこから京急本線へ。京急川崎駅05:04発。05:09京急蒲田駅で京急空港線に乗り換えて05:17発。羽田空港駅に05:27着。羽田空港は3人とも初めてで訳が分からない。自分たちがどこにいるのかわからないが、とにかく案内表示を頼りに指定された集合場所へ向かう。JASは一番はじ。羽田のロビーはなんだか成田より広い感じがする。
       集合時間まで時間があったがとにかく集合場所でまつ。なんとなく同好の士が集まってきているのがわかるのは何故だろう。

       集合時間の06:00。東急観光サンシャイン沖縄ツアーの看板が立ったのですぐさま行く。チケットをもらうとき見えた名簿には、最後から3〜5番目に記載されていた。やはりギリギリだったのか。その後、受付には長い列が。こちらは荷物も預けて優雅に朝食。

       朝食も終わって、搭乗ゲートへ。例のごとく3人とも金属警報装置に引っかかる。ボタン程度でも引っかかるのは、例の「操縦させろハイジャック事件」の影響だろうか?

       飛行機へはバスで移動。当然1台で収まるわけはなく、少なくとも3台で輸送されたようだ。それでも各バスはラッシュ状態。しかも飛行機までの道のりがかなり遠く何度も曲がってバスは進む。我々はアウシュビッツに送られるのだ。

       飛行機はJAS553便07:25発。乗ったら当然のように寝る。昨晩はほぼ寝ていないのだ。しかしそのせいで、ドリンクサービスがもらえなかった。ちょっと悔しい。

       那覇空港まで時刻表では10:20着の約3時間。飛行距離は1,692km。新宿松本駅間225.1kmとほぼ同じ距離(時間距離)。交通費も20,050円でGOGOフリー切符より安い(船の場合)。なんだ沖縄って近いじゃん(嘘)。

    那覇の大地に立つ

       空港についたらやはりバスでターミナルまで移動。満員御礼で距離も遠い。またもアウシュビッツ送りか?
       無事預けていた荷物も出てきて、早速、予約していたニッポンレンタカーにつれられて車を借りる。運転手は私。以前だめだと言われてたワゴンRにあたる。普段乗っている車がワゴンRワイドなので安心だ。だがいざ出発しようとすると、ここがどこだかわからない。一応地図はあるんだけど。なんとか現在位置を発見して、出発するも、変則的な交差点に迷わされる。なんとか復帰し順調にいくかに見えたが、マッパーが2人とも頼りにならないことが判明。なんで地図見てない私だけが地図上の現在地がわかるの?
       ワゴンR、確かに乗りやすいんだけど、AT車でしかもコラムシフトなのが残念だった。AT車は勝手にシフトチェンジするし、空回りしているようでどうも気に入らない。さらに、コラムシフトが扱いにくく、DからNに入れようとしたらRに入って焦ったこともあった。さらにパーキングブレーキは本来クラッチのあるべき場所にあり危険この上ない。これらは事故防止の観点からも問題なんじゃないのか?

       最初は旧海軍司令部壕へ行くことにする。しかし案内看板がほとんどなく、結局、近くなったところでコンビニによってより詳しいマップを購入。ついでに店員に道を訊ねる。やはり案内看板は少なくて、店員に聞かなかったら本当にわかんなかったかも。
       その旧海軍司令部壕は小高い丘の上にあった。ここから那覇市内が一望でき、なるほど陣地になる場所だ。ここの資料室は結構充実していて、ここだけでとりあえず沖縄戦の様子はほとんど分かる。当時の現地司令官が自決していたであろう事は容易に予想できていたが、その直前に本土司令部に対し「県知事に頼まれたわけではないが沖縄の住民は非常によく戦ってくれたので戦後は十分に配慮してあげて欲しい」といった内容の電文を送っていたことは初めて聞いた。
       さて本体の旧海軍司令部壕は、地下のかなり深い場所に作られていた。以前行った松代大本営跡と違い、岩盤壁ではないし、あまり大きなものではなかったけど、それでも作業は大変だったのだろう。なによりこういった地下道にありがちな、じめじめひんやりではなく、湿度が高く少し暑い。真夏はどんな環境になるのだろう。

       旧海軍司令部壕から国道に戻りながら昼食。沖縄に来てまで焼き肉等食い放題に挑戦

       次はひめゆりの塔へ。さすがに沖縄本島で最も有名な観光スポットのひとつだけあって案内看板は充実しており、国道沿いであることもあって迷わず到着。ここもまた資料がかなり充実。ひめゆり部隊を含む旧日本軍の迷走の様子がかなりくわしい。よかったのはひめゆりの塔まえにある壕(洞穴)の実寸ジオラマ。穴のそこから見た形で再現しており、見たときは本物かと思った。
       ひめゆりの塔付近の駐車場にUSAショップを発見し立ち寄る。沖縄らしく米軍放出品とおぼしきものが多数売られていた。結局何も買わなかったが。

       時間も時間なので、平和記念公園はパス玉泉洞へ向かう。ここ自身、施設が大きいせいか案内看板は多少ある。玉泉洞は日本でも2番目に長い鍾乳洞で、日本三大鍾乳洞(玉泉洞、秋芳洞、龍泉洞(龍泉洞安家洞の間違いではないかと思うのだがどうも違うらしい。))に数えられているそうだ。
       龍泉洞、安家洞を擁する岩手県民としては見ずばなるまい。ところが、お目当ての玉泉洞に入るためには、その入洞料のほかに、その周りの施設への入場料も払わねばならない。あわせて1,200円だ。残念ながら玉泉洞以外に興味も時間もない。涙を飲んで(嘘)ここはパスする。

       続いて那覇市内首里城。那覇に泊まるなら行かずばなるまい。しかし、予想外に渋滞し、到着が遅れた上、駐車場が満車。首里城を2周しあきらめて県立博物館に行く。距離的に首里城にも歩いていける距離だ。ところが駐車したとたん「5時で閉まるよ。」と職員の人。時間は16:50。結局博物館も行かず、ホテルへ向かうことになる。

       さて、今回の宿、南西観光ホテルのある国際通りまでずっと渋滞中。国際通りももちろん渋滞中。幸いホテル前にバス/タクシー用の待避所があったのでレンタカーを止めるも駐車場は無し。フロントに聞いてホテル裏に止めるのに30分近くかかる。
       早速チェックインし、部屋へ。部屋は5階の524号室。中にはいると5人部屋我々は3人。他に誰か2人来るのか?
       結局のところ、ツアーの人数調整の関係でこうなったらしい。ギリギリで申し込むとこういうこともあるのか。
       他の南西観光ホテル組は結構狭い部屋という印象だったようですが、我々は寝るところの他に作業スペースも確保いただいて、大変ありがたい部屋でした。

    前夜祭

       部屋に入って着替えて、こんどは宜野湾市ラグナガーデンへ前夜祭出席のため出発。やはり渋滞に巻き込まれ、時間前にはついたものの予想より遅れる。

       前夜祭はだいたい200人くらいの参加だっただろうか?ほとんどが東京圏から来ているようだ。代表のあいさつ時に東京から来た人、関西から来た人、その他の人と、我ら東北人は十把一絡げにされる。いなかもんだと思って馬鹿にしてるな(嘘)。知った顔を探すとコミケットトレインの篠原誠さんに出会う。
       前夜祭では沖縄歌謡、舞踊、クイズ大会、抽選会などで盛り上がる。時刊新聞社さんが既に原稿を集め始める。武振さんはいつものごとく見知らぬ顔にいろいろ書かせる。その中にTRUMPさんが混じっていてちょっとくやしい。
       出てきたビールにオリオンビール以外のビールが含まれている。どうやら「地元企業の振興のために本土からのビールの輸入が厳しく制限されている」という私の説は間違いらしい。それとも全日空ホテルだから空輸で密輸できるのか?
       会場で出された麺類を食したのだが、あまりうまくない豚肉の乗ったうどんだと思っていたのだが、どうやらあれが沖縄のそば、ソーキそばだったことに気がつくのは後日の話。
       レンタカーは既に返却済なので飲み食い放題。またも暴飲暴食状態。

       帰りはだいたい21:00ころ。同じ宿の人とタクシー乗り合い。やたら女の子を紹介したがる運転手で、MINEさんが家電屋のことを聞いても要領を得ない。沖縄のタクシーはひと味違う。
      その日は次の日のこともあるので部屋に帰り、私はフロッピーのDiskCopy&ラベル切り。武振さんはコピー紙作り。MINEさんはタブレットで絵描き。
       ホテルの1階のローソンにラベルのコピーに行ったら、同志と思われる人物がコピー中。自分の後も同様(時刊新聞社の人だった)。混んでたので急いだらコピー。原稿を忘れたけど、互いに何してるか知ってるから問題なし。時刊新聞の人はなにも言わずに笑って返してくれた。私は1時頃寝る。武振さん、MINEさんはほとんど徹夜だったらしい。

    当日の日

    2000.03.19
       朝は6:30起床。朝食バイキング。準備して8時半すぎにタクシーで移動開始。9時半前にはコンベンションホールに到着。案の定会場はまだ開いていない。でも何故か行列が。一般列は50人くらいか?周りに点々とサークル参加とおぼしき人々が。とりあえず朝に買ったFDをフォーマット。今時なんでPC-98用2HD1.2MBのフロッピーしか置いてないんだろう。そうこうしている内、会場が開いて机並べを始める。頃合いをみて入場。準備を始める。準備中に岩手の七瀬さんに出会う。東北からはどのくらい参加しているのだろう

       朝、微妙に雨の気配だったのだが、気がついたら大雨。外の列が中の観覧席に避難してくる。サークル参加で良かったわ。

       11時、いつもより遅い開場。ここでも開幕ダッシュが行われる。大した大きさの会場じゃないのに、一般列も短いのに。目当ては包帯少女&神葉烏龍茶のよう。地元の人の感想が「走るとは思わなかった」だったので、先導はおそらく既夏&冬コミ巡礼者と思われる。気がつけば雨はあがり少し強い風。

       いつもより余裕の日中。列もほとんど出来ないし、距離的にも遠くないので時々出かけてはあちこち歩く。

       今回は初めて私的サークル参加。出したのは半年前の岩漫用に作ったCG集を改良追加したもののみ。それでも5枚出たので良しとする。他に3枚は隣等に配る。
       それだけでは寂しいので、実は今回の目玉は岩手の観光ガイドマップだったりする。ちょっと立ち止まったような人間にはかまわず配る。やはり沖縄で岩手は珍しいのか、ほとんど持っていってくれた。一応TRIP!の申込書も置いてたゾ。
       途中、沖縄からサークル参加している御仁が訊ねてこられる。ミト好きとのことだった。彼とは後ほどまた会うことになる。

       昨日の前夜祭で武振さんが描いてもらっていて悔しかったTRUMPさんに、意を決してスケブをお願いする。普段の夏、冬コミは忙しそうなので頼んだことはなかったのだが、こういう番外イベントだから良いだろう、という心持ちもあった。

       長い開場時間が過ぎて午後4時閉会。直ちに撤収。あっという間に撤収完了。かえって本部等の荷物整理等に手間取る。5時過ぎ終了。反省会の開催。
       反省会は最後まで100人以上残っており、ほとんど打ち上げに参加の見込み。

       反省会では今回の感想などが話し合われたが、どうやら沖縄のTV局新聞社がやってきたようだ。地元タウン誌にも「日本最大のイベントがやってくる」と事前に掲載したそうだ。
       ただ、事前に「コミケットはいかがわしいイベントらしい」という噂も立ったらしく、教育委員会関係の会議の議題になり、事前の問い合わせ、当日の視察等もあり、さらに私服の警官まで来ていたそうだ。
      成人向けサークルが明らかな「成人向けです看板(約A3版?)」の掲示をしていたのはそのための申し合わせであったらしい。準備会では「今回限りですよね」と言われたとか…。
       今後、コミケットスペシャル誘致期成同盟会の関係者は対策を考える必要がありそうだ。

    炎の大宴会

       午後6時頃から宴会開催。開場は近くの村さ木。ほとんど貸しきりで盛り上がる。どうやらご主人にむり言って、沖縄料理も頼んだようだ。酒は当然ながら生ビールと泡盛中心。日本酒は武振さんが仙台から持ち込んだもののみ。沖縄って徹底してるなぁ。
       ほとんど動きのとれない中、代表米沢氏は積極的に各テーブル周りをする。短かったが話をする機会を得られた。歴史の長い岩漫をしっていたのはさすがだ。自分としてはどうも、ビール瓶も徳利も持たずに、テーブル周りはしにくく、その場で根を張っていたが、近くのスタッフ女性と酒の話をする。

       昼間のミト好き沖縄県人が再びやってくる。いろいろ話している結果、一緒にどこか2次会に行くことになる。1次会が終わったのは20:40過ぎ。店の外で2次会の検討をするうち、こちらは私、MINEさん、武振さんに加え、コミトレの篠原さんも加わる。あちらは5人。総勢9人の大所帯。南西観光ホテルで再集合を約し、21:00ころタクシーにて那覇へ帰る。

       今回の飲み会の犠牲者は約2名。1人は那覇消防のお世話になり、1人は篠原さんらがなんとか宿まで輸送する。
       篠原さん系の御仁は明くる日空港で無事を確認したが、救急車の御仁はどうなったのだろう。

    謎の2次会

       ホテルには21:40頃。部屋に荷物を入れて、ロビーで待つもなかなかやってこない。結局2次会を始めたのは22:30頃。ホテルから歩いて2分の地元料理の店っぽいところ。ここでもやはり泡盛中心。MINEさんが頼んでみたカクテル(?)はまずかった。
       料理はおおむね好評です。お好み焼きみたいなのはうまかった。
       自己紹介みたいなものをうやむやにやりながら、リブレット+PHSで各人のホームページを見て、プロフィールを見ながら話し込む。そのうちMINEさんに「ああ地雷屋さんか」とか「ああ、チャットで見たことある」なんて反応。さすがはプロ。本人は有名人の自覚無し
       向こうの集団は沖縄県人と思っていたら、結局沖縄の人は1人だけ。あとは県外人ばかりだった。つまり、こちらも含め、ほとんどみんなつながりのない集団だったのだ。それでもみんな話が合うのだからさすがは強者ぞろいの同志である。
       コミトレの篠原さんがやっと現れたのは23:30ころ。同行の御仁がしこたま酔っての介抱の結果である。とはいえ、やはりコミトレの篠原さんだけあって、テンションが最初から高い。あっという間に場は彼の独壇場である(誇張あり)。

    怒濤の3次会

       店を出たのはたぶん日も改まった01:00頃。次はカラオケ屋へ。一人だけ帰って総勢8名は01:20ころから歌う。
       こうなれば当然、我らTRIP!関係3人の領域(レイヤー)である。叫び系アニメ特撮主題歌ばかり立ちっぱなしで踊り気合で爆唱する。こら、おまえら気合いが足りんぞ。プロなら死ぬ気で歌え(プロじゃないって)。
       カラオケが終わったのは03:20ころ。夏コミとweb上での再会を約して解散する。
       (沖縄コミケ弐次会リンク)

       その晩(?)寝たのは04:00ころ。携帯目覚ましタイマーを07:30に入れて寝る。

    永訣の朝

    2000.03.20
       3日目最終日の朝。07:40ころ起床。当然朝がつらい。MINEさんは朝食に参加せず。朝食の後、荷物をまとめチェックアウト。フロントに荷物だけお願いして8:40ころ観光へ出かける。

       タクシーの運ちゃんに連れられて首里城へ。途中「首里城はそんなに時間はかからないよ」ということで、運ちゃん新原ビーチおすすめ。那覇の近くのビーチだと思いこみ、「じゃ、お願いします。」
       ところが、実際は沖縄本島の南はじ。一昨日玉泉洞から戻ってきた道を逆走する。ちょっと失敗したかなーと思いつつ、隣の2人は睡眠中。9:30ころ新原ビーチへ到着。ここの目玉は船底を透明にしたガラス船。1,500円(税別)ナリ。せっかくですから乗り込んで、沖縄の海を楽しむ。これが以外と楽しい。色鮮やか大小さまざまな魚がうようよしている。南国へやってきたなぁと実感できるひとときでありました。
       ここで、大発見。沖縄の海はしょっぱくない。なぜ?

       再びさっきの運ちゃんのタクシーに乗って今度こそ首里城へ。道はすでに渋滞注意報。なんだか寝ているうちに到着する。

       首里城まえで下ろしてもらって、早速城内へ。なんとなく昨日見た人間が居るような気がする。少なくともTRUMPさんのお姿は確認できた。
       当然だが、日本の城建築とはあきらかに様式が異なる。なるほど日本軍が司令部に使いたくなる立地と作りだ。中に入って思ったのは、意外と小さいこと。城郭は大きいんだけど、各建物が思ったより小さい感じ。
       運ちゃんの言ったとおり、首里城は結構速く終わる。そこからさっきの運ちゃんの
      タクシーで那覇空港へ。

       さて、空港に向かう58号線は渋滞警報発令中。どうやら白線引きで1車線減っていたのが原因らしく、白線引きをすぎた後は何事もなかったように順調に行く。

       白線引きのせいで集合時間11:30には遅れて那覇空港11:40到着。今日のタクシー代は約8,000円強。レンタカーより安かったし、寝れたので良しとする。

       おみやげ関係を全く買っていないので、空港おみやげ屋で物色。とりあえず誰に配るか考えないで手当たり次第に買う。やっぱオリオンビールはデフォルトで24缶でしょ、泡盛は私が飲まないのでちょっとだけ、一応パインワインも押さえとくか。ソーキそばと豚肉を入れて婆さんに郷土民芸の袋、お菓子類を3、4。手に持ってくとじゃまなので全部郵送。総額3万円程度。実は旅で最もかかるのはおみやげ代だったりする。

       そうこうしている内に時間もなくなり、さっさとチェックイン。今回の金属探査は1発通過。他2人は前の通り。バスは相変わらずアウシュビッツ行き。今回は近かったけど。
       12:25発JAS552便で那覇を離陸。早速睡眠。今回はドリンクサービスをもらったぞ。

    欲望の街

       羽田について、今度はバス移動は無し。ターミナル直結だったが、出口までの遠いこと。やっぱり成田より大きいんじゃないのか?
       荷物もかなり多いので、都内まで行かずゲートから出てすぐに飯。那覇では時間がなくて昼飯を取っていなかった。

       来るときは京急羽田線だったので帰りはせっかくなのでモノレールで帰る。当然レールは一本。そのせいか車両中央部が妙に高い。この列車がせり上がり脱線したら一巻の終わりだろうなぁ。

       東京駅に4:50ころ。帰郷は8時の新幹線の予定なので都内に出かける。荷物をロッカーに入れて、おたくの街、秋葉原へ。帰りのことを懸念し、指定席を取る。明確な買い物の目的があったのが私だけなので、とりあえず3人とも同一行動。メモリと携帯通信ケーブルとLANケーブルクロスアダプタと宇宙海賊ミトの大冒険DVD-BOXとミト2DVD1、2巻を購入。残り2人はデジカメの物色。それからせっかく秋葉原ですから、私とMINEさんで虎の穴へ。また同人誌を買う。

       先に行っていた武振さんはともかく、私とMINEさんはちょっとぎりちょんで新幹線に乗る。案の定混んでいて、指定を取っておいて良かった。東京20:12発やまびこ55号。結果的にはダイヤが5分遅れていたので少し余裕があった。そこから数時間の旅。隠れて同人誌読むな
       さっき買った携帯通信ケーブルを早速使う。これでグレー電話がなくてもモバイル可能。9,600bpsだけど非常通信手段だし。次はDoPa端末だな。沖縄コミケメーリングリストが貯まっている。もう帰った人も、未だ帰っていない人も。
       さらにさっき買ったLANケーブルクロスアダプタでMINEさんと直結。怪しげなデータをいただく。ごちそうさま。

       そうこうしている内に新幹線は仙台へ。ここで武振さんとお別れ。ご苦労様でした。
       そこから約1時間で新花巻到着。ここでMINEさんと別れて下車。当然だが寒い。初夏な沖縄とは違って未だ岩手は晩冬。
       だが、出発前にあれだけ積もっていた雪はすでに無い。もうすぐ春がやってくる。

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